田部井淳子さん

日記

 

2016年に 亡くなった田部井淳子さん

 

 

 

 

 

その

ハキハキしてるけど 穏やかな口調

 

お亡くなりになる 最後は

東北震災の高校生達と

富士登山に行こう〜〜

 

入院中での やっと歩ける体で

ご主人に支えてもらいながら

山の苦しさ 素晴らしさ

登り切った時の達成感

 

これから先

生きていく上で

辛い苦しい事

いっぱいあると思う

それを

乗り切っていってほしい

ご自分の身をもって

若い子供達に

教えていらっしゃいました。

 

お亡くなりになった時

きっと

ニュースで

沢山 知らされたと思うのですが

私はそれを知りませんでした。

 

お亡くなりになって

何ヶ月も経ってから

友達から聞いて

びっくりしました。

 

それから

探しました

。。。

 

もう一度

田部井淳子さんに

会いたくて

見たくて

テレビの検索であちこち 調べたのですが

なかったのです。

 

 

まだ

お元気な頃

 

登山の時の 歩き方から

準備運動

注意する事

 

持っていくと便利な

即席の食べ物

 

山小屋で 泊まった時

体の周りの寝袋や

布団が

気持ちが悪いな〜〜

と 思う時

 

直に体にふれないように…

自分専用の

軽い薄い洋服の裏生地で 作った

全身用寝袋カバーなど

(女性でないと 気がつかないかもしれません)

 

私も 真似して 作りました

 

 

 

生き方も含めて

私は いろんな事を

教えていただきました。

 

 

 

=====

 

 

先日

 

 

録画していた番組

NHKプレミアムカフェ

 

【親子で向き合うふたり旅

山が生きる力を教えてくれた

田部井順子、進也北穂高岳の旅】

 

 

という番組を見つけました。

 

 

 

 

 

「まさか進也と ここに来るとは

思わなかった」

 

と 言っていらっしゃいました。

 

 

 

息子の

進也さんと 2人一緒の 登山でした。

 

;;;;

 

 

高校生の頃

タバコを吸ったり

ちょっとグレていた進也さん

お母さんは

ほとんど家を 留守にしている

 

お前の母親は立派な人なのに。。

なんで お前はそうなんだ!

と ずっと 言われてきたそうな

 

 

その日

田部井淳子さんは

いつもの登山家の姿ではなくて

お母さんを していました。

 

息子の 自分に対する不満を

聞いていました。

途中ちょっと 喧嘩になって

口も聞かずに歩いたり。。

と いう 場面もありました。

 

進也さんは

ずっと 辛い

我慢していた事も

沢山あったでしょう〜

 

お母さんも

それは分かっていたでしょう〜

辛かったでしょう〜

 

でも

こんな風に2人で山に登っている

姿を見ていると

 

 

 

田部井淳子さんは

エベレスト登頂よりも

 

この

北穂高 が  一番幸せな登山では

なかったのだろうか…

 

ふと

思いました。

 

 

 

;;;;;;;;

 

 

たまたま

 

 

 

20年近く前

全く同じコースを

次男と2人で

登った事が

ありました

 

テレビの画像が

あの時と

重なって見えるようでした。

 

 

 

 

 

 

コメント

  1. 瑠美子 より:

    おはようございます。
    私もこの番組見ました。
    夜中でした。おかげで翌朝が辛かったです。

    息子の信也さん良くTVカメラ付きで登られたと思いました。
    よほど説得されたのかなと・・・

    でも田部井さんの息子に対するお話はとても素敵でしたね。
    田部井という名前が嫌いだったという息子さんの思い解るなあ。
    立派な人がいると見比べられて自分は自分と思っても周りが許してくれない。
    私の周りにはいませんので楽です。

    チコさんも次男さんと同じコースを登られたのですか。
    凄いですね。

    明神池で焼き魚を食べるまでは行けますがその先は無理です。
    その先を大きな荷物を担いでの登って行かれる方を見ます。
    チコさんもその中の一人なのですね。
    私は帰り道にある、温泉に入りバスで帰ります。
    この違い・・笑えます。

    今日も良い日でありますように。

    • baba より:

      瑠美子さん、おはようございます!

      えっ!、瑠美子さんも ご覧下さったのですね。
      ほんとにそう…進也さんが
      よく TVカメラが 回っているのに
      お母さんと一緒に登る事を承諾なさったと思いました。

      登り始めの頃
      進也さんが
      登山靴の調子が悪くて
      足が痛くて 脱いだ靴を
      やけっぱちのように蹴り飛ばして
      してるのを
      田部井さんが しゃがんで 進也さんの靴を拾って
      なんとか と
      一生懸命しているようす
      あーー いいな〜と 思いました。
      (心は通じるねーー)

      息子と段々に打ち解けていってる様子は
      ほんとに 良かった!

      私とはまるで違います
      登りは何とか歩けましたが…
      下りは、息子にザックも背負ってもらって
      お世話になる 始末でした。
      きつかった。

      バスで行ける明神池まででも 綺麗ですよね〜
      でも ちょっと 頑張って
      涸沢まで 歩くだけでも
      いいかもしれない

      今はもう 歩けません。

      バスで行って 温泉が やっぱ最高〜〜!

      瑠美子さんも 良い一日でありますように❗️

  2. フミ より:

    こんにちは!

    田部井淳子さん亡くなって3年ですか!
    月日たつのはやいですね!
    高校生といっしょに富士山の登山
    テレビで見ました。
    病を押し切って、すごいなと!!
    あれだけ有名になれば、家族もいろんな思いが
    あったでしょうね。
    次男さんと一緒に北穂高登山されて
    いい思い出ですね!
    かっぱ橋からみる穂高連峰いい眺めでした。
    主人と梓川に沿って遊歩道歩き、同じく、明神池
    焼き魚と食べましたよ。
    今、リフレの仲間のかたご夫婦で紅葉の涸沢カール
    行かれてます。
    最高に紅葉きれいでしょうね!!
    私も田部井淳子さんのファンでした。

    • baba より:

      フミさん、こんにちは!

      フミさんも 田部井淳子さんのフアンでしたか!
      ほんとに もっともっと お元気でいていただきたかったです。

      そうそう あの 富士登山の時
      ご主人に エベレストよりきつい。。
      と 確かおっしゃっていましたよねー
      それくらいのきつい体を 押し切って 高校生と登っていらした。
      今もあの 生前最後の登山の様子を思い出します。

      河童橋 ご主人様といらっしゃったのですね
      あの 辺りから 正面に見える穂高も 美しいし
      明神池も独特の雰囲気が何とも言えない
      ご主人様と 好きな事がご一緒だったのでしょうね
      楽しい思い出が沢山です。
      焼き魚は 頂いたことはありませんが
      秋の涸沢カールも 一度行きました。
      紅葉がポスター ほどではなかったけど
      それでも ナナカマドが 綺麗でした。
      涸沢ヒュッテで
      夜お祭りがあってた日で
      くじ引きで
      Tシャツが 当たりました。
      ちょっと 嬉しい思い出があります。
      リフレの方も 良い季節
      九州の山とは また 全然違って
      きっと 満喫していらっしゃる事でしょう〜
      あーー、いいな〜〜…
      また 行きたい!

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