初代 【鶴の恩返し】

日記

 

先日

【鶴の恩返し】  の ブログを書いてから、、

 

そういえば

自分は こうだったなー、、、

と 思いました。

 

ばあちゃんの  お母さん

つまり

ひいばあちゃんの 実家は神戸でした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

私がまだ

小学校にあがる前

 

その頃は

大分県にある

傾山の中腹に 住んでいました。

(これは 以前のブログにも書きましたが、、

父と母は 山の分校で きこりさんの子供達を教える代用教員でした)

 

。。。。。。。。。。。

 

 

一年に一回くらいは

母の実家がある神戸に

連れていってもらっていました。

 

なんで 学校に上がるか上がらないか位の私が

こんなに よく覚えているかというと

山の生活と

神戸のような都会の生活とは

あまりにも かけ離れていましたから、、

何もかもが 別世界のようでした。

 

神戸に行く時は

 

特別の お洋服でした。

 

 

 

下は  真っ白の 光ったサテンの生地の下着

上は  薄桃色の ギャザーが沢山付いた

透き通ったナイロンのスカートに

ちょうちん袖の

ワンピース

二重になっているので 下着の白と 桃色の

ワンピースの生地が重なってきれいでした。

いまでも はっきり 覚えているのです。

 

白い長い靴下を履いて

エナメルの ピカピカの  黒い靴

髪には大きなリボンを つけてもらって。

(母が神戸から 帰るとき買ってきてた洋服)

 

山猿の私も

その お洋服を 着せてもらった時は

おとなしく

お姫様になりました。

(見た目はどうか わかりません、

私の気持ち的には)

 

そんな 格好ですが

山から下りるときは やっぱり山猿

トロッコで

しゅーーっと 下って

 

それからは

蒸気機関車で 別府まで

 

別府から神戸までは

いよいよ お船です。

 

お船は 大きくて大きくて

夢の世界でした。

 

中に入ると

広いお部屋がいくつかあって

走り回りたくても

お姫様の私は  お行儀よくしていました。

 

でも ついつい

フーフーンと 歌なんか 小さく歌っていたら、、

 

誰かが

『お嬢ちゃん、お歌が上手ねー 何か唄って』

と 言われ

 

途端に嬉しくなって

いろんな 歌を唄いました。

そしたら 飴やお菓子を 沢山いただいて、、

 

そしたら

 

となりの お部屋の 人からもお呼びがあり

ずっと  唄ってまわりました。

 

母の所に戻ったときは

両手に

お菓子の山でした。

『あれあれ、、』と

 

上手だったかどうか 分かりません。

人前で歌うのが とにかく とにかく

大好きでした。

 

山の分校でも(3〜4才のころ)

小学生の お兄ちゃんお姉ちゃん達が

舞台に上がって

一生懸命の劇の最中に

幕の横からトコトコ 出て行って

あれれれ〜〜と 周りの大人も びっくり

勝手に唄って、、

劇をめちゃめちゃに

して

 

拍手も もらって

;;;;;

 

あんたは

昔はそうだった

のに、、

 

(後に母に聞いたところによると)

 

;;;;

 

いつのころからでしょうか、、

 

 

 

こんなだった 私も

あんなだったのは

 

子供の時の

一瞬 でした。

 

 

 

 

YouTubeより

 

(お絵かきばあちゃん→次男→次男の長女)

 

 

 

実をいうと

 

【鶴の恩返し】の

元をただせば

 

 

 

 

私、なんです。

(だから  プールの 先頭を切っていくの 苦手なんです。)

 

 

こっそり後ろを 泳いでいたい私です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました