父の仕事が
山の分校の 代用教員から
やっと
本来の営林署の 仕事になり
山をおりました。
おりたところの仕事先は
牧口と いうところでした。
そこは 傾山から伐採した木を
先頭にエンジンを つけた
長〜く 繋がったトロッコで材木を運び
一時的に保管しておく
貯木場がありました。
それは それは
向こうが見えないくらい
山のように
沢山の木が積んでありました。
広い川には 川で
こちらの端から
向こう岸まで
材木が筏のように 組んであり
ポンポンと 飛んで渡れるように
杉や檜が 浮かべてありました。
ここも 子供達の 遊び場でした。
夏になり
川で泳げるようになると
こっちの岸から
あっちの岸まで
泳いだり していました。
ある日 ひとりで
材木が積んである こちらの岸から
向こう岸まで
潜って 行ってみよう〜
と 思いました。
息を 沢山お腹いっぱい吸って
潜りました。
そろそろかな〜、
向こう岸かな〜?
と 思って
上がろう としたら
頭が 材木にくっつくのです。
アレっ!
まだ 向こう岸でないんだ
と
慌てて潜りながら、、、
もう、ここらで 大丈夫だろう、
と 頭をあげると
まだまだ 材木が頭につかえるのです。
だんだん 息も 限界になって
苦しくてたまりませんでした。
もう めちゃくちゃに
あちこちの方向
こっちの方向と、
泳いで、、、
頭をあげた時
やっと
材木が無いところに
当たりました。
しばらくは 疲れ果て
岸で ゴロンと 寝ていました。
父や母には そのことは 言いませんでした。
怒られるから、、
大人になって
父に、こんなことがあった。
と 話しました。
そしたら 父も
自分が子供の頃
小林の川で
おんなじ事を したんだと。
へー、
父も おんなじ ワルでした!。
コメント
危ない!!
よかったね~。
今、生きていて。
何年生でしたか?
流れてる川を泳いだのですから今の泳ぎの片鱗が
その頃から見えていたのですね。
大きくなってからお父さんに話したというのは
良い思い出ですね。
その時のお父さんは一瞬子供に帰ったのでしょうね。
ワルの話してくれたのはなにかとても良い親子関係が見えます。
瑠美子さん、ありがとう。
生きてて良かったよ、瑠美子さんにも会えなかったよ。
一年生か二年生の 時でした。
わるの 父の 子供でした。